河原町には約300年の歴史を持つお地蔵さんが祭られています。原爆により古い地蔵堂などは破壊され戦後に生き残った住民たちの手で再建されたものです。戦後に区画が整理され元の場所に近いところに地蔵堂が建立されたものです。現在は旧河原町(現在の河原町、中町東、本町東)の住民により「河原町地蔵運営委員会」を組織してお守りしています。 現在は毎年のお盆過ぎの土日に行う下記大祭や地域の住民の憩いの場所として親しまれています。 |
河原町地蔵尊の歴史
享保二年(1717年)中島新町の井口惣左衛門と思われる者が現在の河原町に移り住む際に持ち来て
村人がお堂を建てて安置したものと伝わる。
明治の初め頃河原町の61番地(現在の5番12号付近)付近より現在の場所近くに移り約317坪の土地に地蔵堂が建てられた。
被爆後に区画整理があり現在の土地に約207坪と減歩され現在に至る。
また、道を隔てた南側に大きな説教場がありましたが土地の保存登記が一人の名義でなされており、名義人の親族が
第三者に売り渡し地蔵運営委員会の管理から外れました。その土地にはマンションが建てられています。
現在残っている土地は三人の共有名義となっていたので助かったものです。
戦後はひろみ幼稚園に貸し出していた時期もあります。