歴 代 |
氏 名 |
就任 |
退任 |
備 考 |
初 代 |
脇屋波満 (わきや なみま) |
昭和22年 |
不 明 |
戦後すぐに生存する住民が集まり戦後の町内会を立ち上げる。聞くところによると 真鍋(ほてい屋)熊野(くまの旅館)、さんと脇屋さんたちが協議していたようです。 |
二代目 |
香川克己 (かがわ かつみ) |
不 明 |
不 明 |
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三代目 |
吉田鉄市 (よしだ てついち) |
不 明 |
昭和45年3月 |
学区老連の会長も務めた菱光産業の社長 奥様も神崎の婦人会(現在の女性会)会長をされていました。 |
四代目 |
西村敏蔵 (にしむら としぞう) |
昭和45年4.月 |
昭和55年3月 |
政治家の家系で神崎小学校のPTA会長も長く努められ、その後は市会議員となら れる。現在の町内会長は長男の博蔵さんです。河原町地蔵運営委員会の委員長 は戦後から努められました。 |
五代目 |
古道仙一 (ふるみち せんいち) |
昭和55年4月 |
昭和57年7月 |
戦前から河原町に住む、いわゆる地の人で中電に勤務されていました。 退職されてから町内会長になられましたが、会社の組織を参考に町内会を改革されて ゆかれました。新しく河原町に架けられた「中島神崎橋」の名前で神崎連合町内会との 思いが統一されず任期半ばで退任されました。 |
六代目 |
西村敏蔵 (にしむら としぞう) |
昭和57年4月 |
昭和57年?月 |
古道会長の任期途中での退任で急きょ臨時的な対処で就任されました。 |
七代目 |
豊田博道 (とよた ひろみち) |
昭和57年 |
平成6年3月 |
実質的には古道会長のあとを引き受けられたもので、神崎小学校のPTA会長や 河原町地蔵運営委員長も務められました。 |
八代目 |
野村由和 (のむら よしかず) |
平成6年4月 |
平成24年3月 |
豊田会長とは広商の先輩後輩の間柄で現在も良きご指導をいただいています。 青年会長から神崎体協、保護司なども務め現在は連合町内会の副会長と神崎会館 の運営委員長も仰せつかっています。 |
九代目 |
西村博蔵 (にしむら ひろぞう) |
平成24年4月 |
現在に至る |
時代を遡れば明治時代になる河原町の旧家で政治家を輩出する名門の登場である。 神崎学区に於いても長年にわたり小学校のPTA会長を務め、団体長会議のメンバー として学区の運営に関わってきました。平成24年に広島市役所を退官し、前会長から 狙い撃ちをされたものであるが体調管理は怠らないように。 |