ここに 神崎学区では「亥の子祭り」を毎年11月に行っています。町内会によっては多少の違いがありますが概ね11月の第二日曜日に行われているようです。「亥の子大明神」のお宿は、その年に新築されたお宅にお願いしたりしていましたが、ほとんどの町内会では毎年決まった場所に祭壇を作られ「亥の子大明神」をお祀りしています。河原町の「亥の子祭り」は昭和の20年代後半には行っていた記憶がありますが、戦後の町内会を立ち上げた世話役さんが復活されたものと思います。 この「亥の子祭り」の起源は古くて、平安時代まで遡るようです。中国であった風習のように当時の朝廷で毎年亥の月の亥の日に猪をかたどったお餅を献上して繁栄を願ったようです。それがいつの日にか貴族や武家の間にも広まり、しだいに庶民の間でも行われるようになったようです。それが農村では時期的に稲刈りが終わる時期とも重なり収穫を祝い田の神様を天にお返しする意味でも行われているようです。神崎のお祭りでは猪が多産系でその家がますます栄え繁盛するように街中を「亥の子石」をつきながら練り歩きます。町内の各家を回りながら「い〜のこ♪い〜のこ♪亥の子餅ついて 繁盛せい 繁盛せい」と子供たちが歌います。私が子供の頃は獅子舞や、赤鬼、青鬼が一緒に回っていましたが・・・・ 広島ではこの頃からコタツを出していたように記憶しています. 河原町の亥の子祭り 中町東の亥の子祭り 中町西の亥の子祭り 本町中の亥の子祭り 本町西の亥の子祭り 幸町東の亥の子祭り 幸町中の亥の子祭り 文章を書きます。 |