(神崎会館の歴史)
○昭和43年5月(1968年)竣工 連合町内会長 角中一美会長
○昭和55年5月大改修される
会館の和室北側に机やパイプいすなどを収納するスペース確保のため増築。避難通路が無くなるため北側にある河原町公園に非難するべく避難口
を新たに造る。
○管理人は紆余曲折がありましたが完成以来小網町(当時は土橋地区を含めて神崎学区でした)から工芸社の北村元義さんが平成27年3月31日で退任されるまで努められました。
○平成27年4月からは管理人を置かず野村神崎会館運営委員長以下の運営委員で管理することになりました。
○神崎会館内に事務所を設けて連合町内会と神崎社協の事務局としても稼働することになり、不定期で運営委員が交代で管理に当たることになりました。(27/1/5着工し27/2/12引き渡し)
戦前はこの一角に山陽紡績の男子寮があり、戦後は木造平屋の市営住宅がありました。
その後西側に市営住宅兼店舗が建造され東側が河原町公園として整備されました
歴代の運営委員長
@藤田弘信
A林 保
B豊田博道
C臺 澄男
D松尾善明
E大畑耕三
F紙田英昭
G久保清司
H野村由和 (平成24年4月就任し平成27年に北村氏の管理人退任より管理業務を引き継ぐ。)
(平成30年7月に体調を崩し退任する)
I伊藤修史 (野村委員長の急病により30年度の7月から委員長代行となり、令和元年度より委員長となる)